「The Future of Bass Fishing(バスフィッシングの未来)」という特集を掲げた今月号の『Basser』には、正直なところ思うところが多々あった。
特集をめくりながら首をかしげるところもあったし、読み終えたあとも胸のあたりに妙な引っかかりが残っている。長年この雑誌を読んできたけれど、こんな感覚を覚えた『Basser』は初めてかもしれない。

もちろん、この特集で組まれているような、いろんな立場の意見を幅広く集めるありかた自体が悪いとは思っていない。むしろ、自分一人では思いつきもしなかった視点に触れられるのは面白い。自分とは違う立ち位置にいる人からは、同じ問題であってもまったく別の景色が見えているはずだし、それを知ることで新たな気づきをもらえたり、自分なりに考え直すきっかけになったりもする。
だからこそ、今回どうしても物足りなく感じてしまったのは、そうした多様な声をどう整理して提示するのかという見せ方の部分だった。
Basserの編集部ライブに水藤友基さんがゲスト出演された際、「『Basser』としてこの問題をどう考えているのか」という趣旨の質問が投げかけられていた。だが、そのやり取りに耳を傾けていても、編集部がこの問題をどう捉えているのかが、少なくとも私には最後まで伝わってこなかった。
誌面を読んでいる最中に感じたあの焦点の定まらなさやまとまりのなさも、根底ではここにつながっているのではないか――そう感じてしまったのだ。
誤解のないように言っておくと、『Basser』に対して「これが正解だ」と白黒つけるような結論を出してほしかったわけではない。雑誌がたった一つの立場を決め打ちして、それを読者に押しつける必要なんてないし、様々な意見を提示したうえで最後の判断は読者に委ねる、という編集のアプローチだってあり得る。
けれど、「結論を出さないこと」と「論点を整理しないこと」は別物だ。
たとえばAという意見とBという意見が並んでいるなら、なぜ両者が食い違っているのか。見ている現実が違うのか、目指す目的が違うのか、それとも議論の前提そのものがズレているのか。そうした構造が見えてきて初めて、読者も自分なりの考えを深めていけるのではないだろうか。
今回、私が『Basser』に抱いた違和感の正体は、多様な人の意見を載せたことそのものではない。それらの声を編集部がどう咀嚼して整理し、どこに論点を据え、読者に何を持ち帰ってほしいのかという“編集の手ざわり”が、私には見えてこなかったことだと思う。
では、一読者である自分自身は、今回の特集を読んで何を考えたのか。ここからは、その思考を自分なりに整理してみたい。

なぜ入鹿池の船団は「異様」に見えたのか
トーナメントの「常識」は外には伝わらない

今回の件について考えていたとき、まず頭をよぎったのは「日本とトーナメントの未来」の記事でも触れられていた「入鹿池の炎上」騒動だ。
普段からトーナメントを追っているファンからすれば、あの密集した船団にも「競技ならではの背景や事情」があることはわかる。なぜあの場所に選手たちが集まるのか、どんな状況がそれを生み出したのか。そこさえ知っていれば、目に映る光景も違ってくるはずだ。
だが、そうした前提知識を持たない人があの密集状態だけを切り取って見たら、まったく違うネガティブな受け取り方をしてしまうのも無理はない。
内部では当たり前に共有されていることが、外から見たときにも同じように理解されるとは限らない。私は入鹿池の炎上を見ていて、そのズレがかなり大きくなっているように感じた。
今もトーナメントには強い影響力がある
その背景を考えるうえで気になるのが、現在のバス釣りにおける「影響力」の変化である。
この記事でも、黒田さんが「トーナメントの影響力は現代でもまだ大きい」という趣旨の話をしていたが、私もその通りだと思う。
最近だと、ハリネズミやキングジミーヘンジなども、霞ヶ浦のトーナメントで活躍している選手たちが使っていたことが、売れた大きな要因のひとつだと思う。
また、ギーラカンスやプロップヘアーボールが現在のような爆発的な人気になった背景には、やはりトーナメントの影響が非常に大きかったと思う。なぜなら、もし青木さんがトーナメントに出ていなかったとしたら、ギーラカンスはそれなりに流行ったかもしれないが、現在のような異常ともいえるほどの人気にはならなかったのではないかと思うからだ。
このような大規模なブームが生まれた背景には、「ただよく釣れる」「トーナメントでウイニングルアーになった」「人気アングラーが使っている」といった単一の要因だけではなく、「スーパースター青木大介さんがTOP50という最高峰のトーナメントで優勝した」という、わかりやすく、そして多くの人を惹きつける「ストーリーと世界観」が大きな役割を果たしたと思う。
お立ち台での青木さんの伝え方も上手かった。
「とあるルアーが…」「他のルアーでは反応しなかった」「他の選手の後でも釣れる自信があった」「本当は黙っておこうと思ったけど…」「明らかに反応が違う」など、こんなセリフをあの青木さんが言っていたら、誰だって使ってみたくなる。
つまり、「スターの優勝」というストーリーと世界観が、一般のアングラーにもわかりやすく伝わったことで人気に火がついた面も大きいと思う。昔ほどトーナメントだけが流行を生み出す時代ではないが、トーナメントには今でもSNS単独では生み出しにくい強烈な「物語」を付与する力が今でもあると思う。
SNSとトーナメントが重なってブームが生まれる
一方で、現在はYouTubeやInstagramをはじめとするSNSも無視できない影響力を持っている。
例えば以前から何度かブームが起きている「フリップギル」を見てみよう。
少し前にあった「フリップギル」の大きなブームは、田辺哲男さんが『LIMIT1』や『BASSFLIX』で豪快にデカバスを仕留める姿そのものの影響によるものだったと思う。あの動画を見て「このルアーを使ってみたい」と心を動かされたアングラーは、かなりいたのではないか。

田辺哲男さんの場合、単に「このルアーがよく釣れるから」という即物的な理由を超えて、彼自身の釣りに対する考え方や、そのブレない世界観と釣りのストーリーそのものに惹かれているファンが多いと思う。
一昔前なら、そうした背景を知る手段は雑誌や釣りビジョンなど、ある程度限られていた。しかし今はYouTubeがある。『LIMIT1』も『BASSFLIX』も、田辺さんの世界観を映像に乗せて届ける術に長けている。

単に「魚を釣った」という結果だけでなく、なぜそのエリアを選んだのか、なぜそのルアーを結んだのか、さらにはどんな釣りを「面白い」と感じているのか。プロセスからマインドまでを包み隠さず見せるこの手法は、まさに今の時代に完璧にフィットしていると感じる。
フリップギルはさらにその後、もう一度人気に火がついている。
ブームが少し落ち着きを取り戻し、ようやく店頭に在庫が並び始めたタイミングで、今度は『けいたのズボラな釣り動画』のけいた氏が動画で紹介した。その後、フリップギルは再び店頭やネットからまたたく間に姿を消すことになる。

もちろん、「この動画によって何個売れた」と証明できる話ではない。それでも、一つの商品に田辺さんの発信があり、別のYouTubeチャンネルからの発信があり、それぞれ違うタイミングで需要が動いていく様子を見ていると、現在の流行が一つの経路だけで作られているとは考えにくい。
「Gボール」や「シュウチンガン」周辺の動きも興味深かった。これも、最初はけいた氏が紹介した後にGボールやGラバーに火がついて品薄になり、その代替品としてシュウチンガン16mmに白羽の矢が立っていた。私の見立てでは、青木大介選手が優勝を飾る頃には、すでに店頭から姿を消し始めていたように思う。
そこに「青木選手の優勝」という強烈なストーリーが生まれ、さらにウィールヘッドという自由な発想の話題性も加わったことで、プロップヘアーボールへの注目度は爆発的なものになった。
プロップヘアーボール自体は、青木大介さんが優勝する以前から、Gボールの開発者である那須大士朗氏によってすでに考案されていた。もしかすると、青木さんの優勝がもしなかったとしても、那須氏からじわじわと広がっていって、どこかで人気が沸騰するような世界線があったのかもしれない。タラレバを言っていても仕方ないが、影響力のある発信によって人気に火がつく可能性が、現代にはトーナメント以外にもあることを完全に否定はできない。
このように考えていくと、「YouTubeがトーナメントの存在価値を奪った」という単純な話でもないことがよくわかる。SNS側ですでに熱を帯びていたところにトーナメントでの優勝というインパクトが重なることもあれば、その逆もあり得る。どこかで局地的に流行っていたルアーが別の発信者に見つかって再ブレイクすることだってある。
今は、こうした複数の情報経路が幾重にも重なり合いながら、それぞれが影響力を持って流行を作り出している。
今回の『Basser』を読んでいて私が考えさせられたのは、結局のところ「何をしているか」以上に「それをどう外部へ伝えるか」という問題だった。そして、その視点で現在のトーナメント界を見てみると、同じような引っかかりを覚える部分がいくつもある。
生分解ルアーの先に、どんなトーナメントを描くのか
トーナメントについて考えていると、どうしても気になることがある。
JB・NBCでは、現在示されている方針が順当に進めば、2030年には今のFECO登録ルアーが使えなくなり、生分解系統のFeco+登録ルアーだけが使用できるようになる。
2030年と聞くとまだ先の話にも思えるが、シーズンで数えれば、それほど時間は残っていない。
これが実現すれば、今トーナメントで普通に使われているルアーの多くが、そのままでは使えなくなる。コイケやギーラカンスを始めとするエラストマー素材のルアーも、従来のPVC製のワームも使用できなくなる。
生分解ルアーについて気になったのは、今月号の『Basser』でこれについての記事があったからだ。

これについては、私自身は、方向性としてはどちらかと言えば「賛成」寄りだが、競技ルールとして妥当なのかは、正直まだわからない。
この取り組みを詳しく見ていくと、現状の登録状況を見る限り、かなり『ワーム禁止』に近い印象を受ける。つまり、河口湖、西湖、芦ノ湖のように、いわゆる「ワーム類」の使用が禁止され、ハードルアーとポークなどの天然素材を使って作られたルアーのみを使用することができるイメージだ。(ただ、生分解系素材のワームも少しずつFeco+には登録されている)
さらに、そのハードルアーに関しても、樹脂部分が生分解素材を使って作られた「Feco+」認定製品に限定されるということだ。ただ現状では、ここにジグやワイヤーベイトは含まれておらず、この手のルアーも使用できなくなる可能性がある。
Feco+でTOP50の釣りはどう変わる?
ポーク系をいったん脇に置いて、TOP50が実質的にハードベイト中心の試合になったと想像してみたらどうだろうか。私は、それはそれで面白そうだと思う。様々なハードベイトを軸にした新しい釣り方が生まれてくるのが予想される。
ただ一方で、Feco+ではポークルアー系のフィネスは可能であるため、結局はライトリグばかりの釣りになることも考えられる。また、ハードベイトを使っていたとしても、FFS(ライブスコープ系の魚探)によるシューティングの釣り自体は変わらない可能性もある。つまり、一部のアングラーが好むような、ハードベイトでカッコいい釣りみたいなイメージとは異なるハードベイトの釣りが発展していくことも予想される。
始まる前から様々な予想は立てられるが、結局は「やってみないとわからない」という一言に尽きると思う。そして、私は、これをやってみる価値がかなりあるように感じている。うまくいくかどうかは、やってみないとわからない。これは釣りと同じである。
もちろん、「環境に優しい素材を作ること」と、「トーナメントでそれ以外のルアーを一切禁止にすること」は、決してイコールではないという考え方もある。これほど競技の根幹を揺るがすような変更を、なぜそこまでして「競技ルール」として縛り込むのか。その真意をもっと知りたいと思っている人も多いだろう。
このルールが施行されれば、選手が使えるルアーは大きく変わる。メーカー側も、それに合わせて新しいルアーを開発していかなければならない。今まで成立していた釣り方の中にも、そのままでは使えなくなるものが出てくるだろう。そうなったとき、トーナメント由来の需要が大きい製品であれば、売れ行きや商品展開にも影響が出るかもしれない。巡り巡って、価格や選択肢という形で我々消費者にも影響が及ぶ可能性はある。
競技として本当に面白くなるのか
そして何より疑問なのが、「競技として見たときにどうなのか」という点だろう。
これまで使えていた多彩なルアーが姿を消し、Feco+登録ルアーだけで戦うトーナメントを、外から観ていて心から楽しめるだろうか。
あるいは、自分が参戦する選手だったとして、そこに面白さを見出せるだろうか?
これほど大規模なルール変更を行うのであれば、「環境に良いから」という理由だけではなく、結果として「トーナメントをどんな競技にしていきたいのか」というビジョンが見えてこないと、どうにも腑に落ちない人も多いのではないかと思う。
環境負荷はどれほど変わるのか
そもそも、Feco+登録ルアーを使った場合と普通のルアーを使った場合で、環境に与える負荷にどのくらいの差があるのかという検証データはあるのだろうか?少なくとも外部から容易に確認できる形では見つけられなかった。そのため、外部の人間には判断材料が足りないと感じる。
私のような素人考えでは、大会中にロストするルアーの数は一体どれだけあるのか、とまず思ってしまう。それに、もしロストしたとして、Feco+登録ルアーは樹脂パーツが分解されるだけで、ハリや内部ウェイト、アイやスプリットリング、そして糸は水中に残ってしまうのではないか、と想像してしまう。樹脂パーツだけが分解されたところで、それほど大きな差が生まれるのか、という疑問である。
これほど影響力のある変更を、もし「生分解だから」という理由だけで押し進めているとしたら、外部の人間に対する説得力に欠けるところがあるように思う。
「環境に良い」だけでは伝わりにくい
ここまで考えていると、JB・NBCの情報発信における「外部からの分かりにくさ」について、とても気になってくる。
たとえば、普段まったくバス釣りをしない一般の人に向けて、こう説明したとする。
「この大会では環境に配慮して、生分解ルアーを使っているんですよ」
これで一般の方に「何に取り組んでいるのか」が、どれくらい伝わるだろうか。
正直なところ、直感的には伝わりにくいのではないか。
それに対して、
「大会と一緒にフィールドのゴミを拾っています」
「試合のたびに水辺がきれいになっているんです」
「会場では子どもたちも一緒に釣りを楽しめますよ」
こう言われた方が、やっていることも、その意義も、よほどスッと頭に入ってくる。
別に、清掃活動や子ども向けイベントの方が環境対策として優れている、と主張したいわけではない。
生分解ルアーには生分解ルアーの確かな目的がある。私が言いたいのは、外から見たときに「何のためにやっているのか」が直感的に伝わるかどうか、という視点の違いだ。
競技の中身を根本から変えてしまうほどのFeco+移行を目指すのであれば、その先に一体どんなトーナメントの姿を描いているのか。そこを、もっと見える形で示したほうが良いのではないかと思う。
ポジティブな活動は届かず、炎上だけが届く皮肉
素晴らしい活動ほど外から見えない
JB・NBCは、環境保全や地域貢献に非常に熱心に取り組んでいて素晴らしいと思う。
たとえばTOP50の試合会場では、一般の方や子ども向けのイベントも開催されていて、私もそのイベントレポートでその様子を見ることがある。こうした取り組みが地道に行われている。
ところが後日、そのイベントの詳細が気になってもう一度確認しようとレポートを探してみると、結局、見つけることができなかった。検索エンジンでもまるでヒットせず、JBのトップページからたどり着ける導線も見当たらなかった。せっかく素晴らしい取り組みをしているのに、その扱いはあまりにも控えめすぎる。
NBCの清掃活動にしてもそうだ。単発のイベントではなく、全国各地で継続的に実施されており、その様子はNBCのYouTubeチャンネル『Go!Go!NBC』にもアップされている。

だが、動画を見て強く感じたのが、内容があまりにも「業務的」だということだ。例えるなら、身内向けの活動報告書としては成立していても、外部に向けたプレゼン資料としては失敗しているようなイメージだ。
「この日に清掃を行いました」という事実の記録にはなっている。しかし、そもそもNBCの存在すら知らない一般層に対し、この活動の意義や、トーナメント団体がわざわざ継続する理由が伝わるような構成にはなっていなかった。
むろん、清掃活動はPR目的で行うものではなく、活動そのものに意味がある。それでも、地域社会との共生やバストーナメントへの理解促進を念頭に置くならば、自らの取り組みを広く外部へ発信する意義は大きいはずだ。主役はあくまでトーナメントであり、その本質的な面白さも含めて、もっと外から「見える化」されるべきだろう。
生分解ルアーをここまで大々的に打ち出しているのに、なぜ清掃活動はこんなにも控えめなのか?環境保護という意味では、同じ方向を向いているはずなのに、と思う。
賞金が見えれば試合のドラマも変わる
「見えにくさ」という点では、賞金に関しても同じようなもどかしさを感じる。
JBのトーナメントを熱心に追っていても、選手が優勝して一体どれほどの賞金を手にしたのか、外からは分からないのだ。金額の多寡で選手の価値が決まると言いたいわけではない。それでも、「この一勝で何を手にしたのか」が明確になることは、試合が持つ重みや、選手間の熾烈な競争を理解するための重要なスパイスになる。
競技中の最後の一匹が、100万円近い賞金額の差を生んでいるとしたら、魚をバラした瞬間はまさに100万円が掌からこぼれ落ちた瞬間となる。これは外部から見ていて非常にわかりやすい。しかし、金額が見えなければ、「ただ優勝を逃した一匹」になってしまう。
MLF JAPANや本場アメリカのトーナメントでは、そうしたシビアな部分がクリアに提示されている。B.A.S.S.のウェブサイトでは、各選手がこれまでに獲得してきた賞金の総額も見ることができる。それに引き換え、JBはプロが勝利する意味や価値が外部に伝わりづらい。エンターテインメントという観点からすれば、これは大きな弱点となってしまっているのではないか。これに関してももったいないという気持ちになる。
TOP50の残留ルールが見えにくい
もうひとつ気になるのが、TOP50メンバーの選考方法だ。
下部のカテゴリーから上がってくる選手がいるのはわかる。各カテゴリーで年間上位の成績を残し、その強さが認められて這い上がってきた。しかし、よくわからないのが残留選手である。
私が聞いているのは、残留権を持つのは年間30位までの選手と、特別なシード権を持つ今江克隆さんだけ、という話である。ところが、毎年見ていると、年間31位以下の選手どころか、最下位に近い選手まで残留している。そして、それに対して外部に対する説明もない。
これを見て不思議に思わない人がいるのだろうか?シード権は何のためにあるのか?年間順位の意味は?残留をかけた戦いというドラマはないのか?と思ってしまう。ここにも情報の不透明さを感じる。
例えばサッカーでは、1部と2部の昇格・降格争いが非常に熱を帯びる。特に、降格争いには人間のドラマを感じ、ときには歓喜があり、一方で涙を流す場面もある。これと似たドラマが、トーナメントでもあるはずなのではないか?そのようなドラマを通して、応援したくなる選手が生まれ、その選手のファンになる人もいるはずである。
新規ファンが入れる「入口」はどこにある?
ライブ配信の在り方についても、疑問を抱かざるを得ない。
JBは今の時代にあえて「釣りビジョン」というプラットフォームを選択した。何も発信しないよりは間違いなく前進であり、実際に視聴すればコンテンツとしての完成度も高く面白かった。だが、新規ファンにとっての入口としてはあまりにも狭すぎる。
もちろん、釣りビジョンの本編動画に誘導するような導線は多く作られている。解説に今江克隆さんを迎えて他のプロとの対談を行ったり、本編のハイライトをまとめたダイジェスト動画がYouTubeに上がっている。しかし、これはあくまで本編を見るためのプロモーションという色が濃かった。
すでにトーナメントの魅力に取り憑かれ、対価を払ってでも見たい熱狂的なファンには居場所がある。しかし、「ちょっと興味がある」程度のライト層が足を踏み入れる場所が見当たらないのだ。結果として、「コア層にだけトーナメントの面白さが伝わればいい」という印象を外部に与えかねないように思う。
これは、試合でライブスコープを規制すべきか否か、あるいは競技性を高めるためにルールをどう改正するかといった議論以前の問題である。そもそも、新しいファンがトーナメントの面白さに触れるための、気軽に入れる「入口」が用意されているのだろうか。
ポジティブな活動は届かず、炎上だけが届く
そう考えると、あの入鹿池での炎上騒動はなんとも皮肉な出来事だった。
JB・NBCは子ども向けのイベントを催し、地道な清掃活動も続けて地域貢献をしている。トーナメント自体にも、追いかけているファンにはたまらない面白さが確実に存在する。ところが、そうしたポジティブな側面は普段ほとんど外部へ届かないにもかかわらず、入鹿池でボートが密集した異様な光景だけは、あっという間に世間へと拡散されてしまった。
トーナメントの前提を知らない一般層と、競技の裏事情を知っている層とでは、そもそも物事を見る視点がまったく違う。そのギャップを埋めないまま炎上だけが起これば、結局のところ世間には悪いイメージばかりが残ってしまう。ここで正論を振りかざしたところで、それがかえって事態を悪化させる原因にさえなってしまう。
炎上したところで高尚な言葉を振りかざして意見の殴り合いをしても、そこからは何も生まれない。お互いに嫌な気持ちになり、相手をちょっと嫌いになり、フラストレーションだけを残して終わるだけだ。
普段は外部に誇れる素晴らしい価値が隠れたままになっているのに、問題が起きた時だけ、ネガティブで強烈な形で世間とつながってしまう。このいびつな現状を、私は心底もったいないと感じているし、本当の価値が伝わっていないことが残念である。
現在のトーナメントは、以前と同じものではない。メソッドもルアーも日進月歩で変わり、魚探をはじめとする道具も劇的に進化した。戦うトッププロの顔ぶれも入れ替わり、フィールドのコンディションも、競技ルール自体も変化し続けている。
競技のど真ん中でしのぎを削っている当事者たちが、その変化を肌で理解しているのは当たり前だ。だが、「内部で常識として共有されていること」と、「外の世界の人間が、今の競技をちゃんと理解できる状態になっていること」は、まったく別の話である。
入鹿池の船団を見て違和感を抱いた人たちに向かって、「競技を知っていればわかる」と反論することは簡単だ。でも、そもそも彼らが「今のトーナメント」を知るチャンスなんて、これまでにどれだけ用意されていただろうか。その変化を、競技の外にいる人たちは一体どこから知ればいいというのだろうか。
主な入口が競技者個人のSNSに偏っているのなら、その実態を一般アングラーが知ることは難しいと言わざるを得ないだろう。
「バスに遊んでもらう」という言葉に感じた違和感
これまで、「どう見せるか」「どう伝わるか」について散々語ってきた。ただ、「伝える」ということは、決して自分たちに都合の良い言葉で綺麗にパッケージすることじゃない。
だからこそ、今月号の『Basser』を読んでいて、「バスに遊んでもらう」というような表現が出てきたときには、どうしてもモヤモヤしてしまった。
もちろん比喩であることは分かっている。ただ、『未来』や魚への向き合い方を語る文脈では、人間側のエゴをきれいな言葉で包んでしまうように私には感じられた。
誤解しないでほしいが、バスという資源を大切にする姿勢には大賛成だし、魚へのダメージを減らそうとする活動も本当に重要だと思っている。けれど、魚の立場からすれば、釣られることは決して「遊び」なんかじゃない。命がけの行為だ。ハリの掛かりどころが悪ければ命に関わるし、目や口に一生の障害を負ってしまうことだってある。釣り上げられた後に命の保証はない。
そんな残酷な行為を、果たして魚は「遊ぶ」と呼んでくれるだろうか?
そのことを強く感じさせてくれた記事がある。大場さんの記事「一生忘れない出来事」では、忘れられない1匹のバスへのケアの物語が記されていた。そして、この物語の中では、とても「バスが遊んでくれた」と言っていられるような要素は感じられなかった。

そこにあったのは、釣りという遊びの枠を超えて、傷つけてしまった一つの命をなんとしても救いたいという、ありのままの人間の姿だった。
それでも私は「楽しいから」釣りをする
こんなことを書くと、「そこまで言うなら、そもそも魚を傷つける釣りなんてしなければ良い」という声が飛んでくるかもしれない。
それでも私が釣りを続ける理由は、ただ「楽しいから」というとんでもなく自分勝手な理由である。魚を傷つけ、最悪の場合は死なせてしまうかもしれない。それなのに、自分の「楽しい」という感情を最優先して釣りをしている。
そんな自分自身のドロドロした部分を、綺麗な言葉でごまかすつもりはない。自分はどうしようもなく身勝手だし、人間にはそういう汚い部分がある。自分だけ安全な場所に立って「私は違う」なんて言えるはずがない。
「バスフィッシングの未来」というテーマの中だからこそ、「魚と遊ぶ」みたいな聞こえのいい言葉で人間のエゴを覆い隠してほしくなかった。聞こえのいい言葉に酔った結果、自分たちが実際にどれほど残酷なことをしているのかすら見えなくなってしまうのなら、それは違うと思う。
とはいえ、「どうせ残酷なんだから何をしても同じ」と開き直るつもりもない。本気で環境を守ろうと動いている人たちは心からリスペクトしているし、魚への接し方を真剣に考え、少しでもダメージを減らそうとするバスケアの取り組みは本当に素晴らしいと思う。
実際、今回の『Basser』を読んでハッとさせられることも多かったし、次からフィールドで意識して実践してみようと思ったことがいくつもあった。
理想論を並べるだけでは、現実は変わらない。身勝手さから逃げずにしっかり現実を認めること。そのうえで、ほんの少しでも状況をマシにするためにできることは確実にある。
私自身も、フィールドに立ったときには、自分にできることを一つひとつやっていこうと思っている。
「なんか楽しそう」から始まる未来があってもいい
全員をバスアングラーにしなくてもいい

日本のバスフィッシングの未来は明るいか。
そう聞かれたら、少なくとも私は、素直に「明るい」とは答えにくい。
バス釣りをしない人からすれば、ブラックバスという魚そのものに良いイメージを持っていないことも多い。釣り場は以前ほど自由ではなくなったし、魚だってそう簡単には釣れない。これから始めようとする人にとってのハードルは、かなり高くなっているし、こうした状況は、今後さらに厳しくなるように思える。
道具類も、値上げの流れが止まらない。ロッドやリール、ルアーを一式そろえ、時間をかけて釣り場まで足を運んでも、結局なにも釣れずに帰ってくるなんてことが普通になってしまった。
もともとバス釣りは、初心者が「気軽に始められて、すぐ楽しめる遊び」ではなかったかもしれないが、現代はさらに難しくなっているように感じられる。短時間・低コストで成果を得やすい娯楽の選択肢が多い今、なかなか成果の出ないバス釣りは、新規の人にとって選びにくい遊びになっているのかもしれない。
一度定着してしまったブラックバスの悪いイメージをひっくり返すのは、私から見ればほぼ無理ゲーに近い。もちろん将来どうなるかなど誰にも分からないが、少なくとも簡単に成長へ転じる材料は見えにくい。
環境を守ることも、魚を大切に扱うことも当然必要だ。でも、黙々とそれだけを続けることが「バスフィッシングの未来」のすべてではないはずである。
バスフィッシングの未来を思い描くとき、その相手を「今バス釣りをしている人」だけに限定する必要もない。YouTubeを見ていると、そう実感する場面がある。
たとえば、人気のバス釣りYouTubeチャンネル『Shokuro’s Fishing』の動画では、「自分はバス釣りをしないけれど、このチャンネルは好き」という趣旨のコメントを見かける。

『LIMIT1』や『BASSFLIX』でも、「昔はバス釣りをしていたけれど今はやっていない。それでも田辺さんの釣りは見ている」といったコメントをたまに目にする。
そういう人たちは、今はバスアングラーではないかもしれないが、バス釣りと完全に縁が切れているわけでもない。「自分では釣らないけれど動画は見る」「昔はやっていたから、今でも好きなアングラーの釣りは見たい」。魚を釣ること以上に、その人の考え方や釣りそのものを眺めるのが面白いのだろう。
つまりバス釣りは、実際に釣りをしている人たちの内輪だけで完結するものではない。そう捉え直してみると、「バスフィッシングの未来」という言葉の響きも少し違って見えてくる。
新しく竿を握る人を一人でも多く増やすことだけが未来ではない。
なかなか釣れない。やってみると難しい。コスパも吐きそうになるほど悪い。世間からのイメージも、決して良いとは言えない。
……でも、なんか楽しそう。
入り口はそれくらいでもいいんじゃないかと思う。自分ではやらなくても動画は楽しくて見てしまう。昔やっていたから今でも気になる。そんなふうに、バス釣りとゆるく関わってくれる人たちの存在にも、確かな意味はあるはずだ。
なにも、全員を釣り人にしなくてもいい。
私は、そんなゆるいスタンスでいいから、バス釣りに興味を持ってくれる人を少しでも増やしていくことが大切なんじゃないかと思っている。
ライブ配信が新しいファンを作る
このように考えると、スポーツ観戦のように、バスフィッシングのトーナメントを「観て楽しむ人」を増やしていくことは、バスフィッシングの未来にとって大きな意味を持つように思う。
その入口として、大きな可能性を持っているのがトーナメントのライブ配信ではないだろうか。
MLF JAPANでは、シリーズの試合がライブ配信されている。今年からは、オカッパリのトーナメント「MLF Japan Shore Attack Pro League」の配信も始まった。また、若手の登竜門とも呼ばれる「U-30 DREAM TOURNAMENT」でも、毎年第2戦がライブ配信されている。
こうした配信の面白さは、単に「誰が何匹釣った」「誰が優勝した」という結果だけでは見えてこない部分まで知ることができるところにある。
なぜその選手はその場所へ向かったのか。なぜそこで粘るのか。どのタイミングで勝負をかけたのか。そこにプロアングラーによる解説が加わることで、選手の思考や駆け引きまで見えてくる。
結果だけを見れば単なる「一匹」でも、そこに至るまでの過程を知っていれば、その一匹が持つ重みはまったく違って見える。
私自身、ライブ配信をきっかけに知った選手は多い。
特にU-30で若い選手たちが必死に戦っている姿を見ていると、自然と「この選手を応援したい」という気持ちが生まれてくる。最初は名前すら知らなかった選手でも、試合を通して考え方や立ち振る舞いを知るうちに、次の試合では結果が気になるようになる。
応援したい選手ができれば、その選手が出る次の試合も見たくなる。そこで別の選手や新しい釣りを知り、少しずつ競技そのものにも興味が広がっていく。
ライブ配信には、選手と視聴者の間にそうした関係を生み出す力があると思う。
これは、この記事の前半で書いた「ストーリーと世界観」の話にもつながる。
トーナメントが持つ影響力は、順位を決めたり、ウイニングルアーを生み出したりすることだけではない。選手が悩み、考え、勝負する過程そのものが、一つの物語になる。
その意味で、忘れてはならないのが「Basser ALLSTAR CLASSIC」のライブ配信だ。

スター選手たちが一堂に会し、それぞれのスタイルで戦う。誰が勝つのかだけでなく、そこに至る過程そのものが大きな見どころになる。
さらに、「Basser Allstar Classic THE WILD CARD」のように、本戦への出場権を懸けた試合までライブで見ることができれば、物語は本戦が始まる前から続いていく。
一人の選手がどのように挑み、どんな判断をして、その舞台への切符をつかむのか。その過程を見届けていれば、本戦でその選手を見るときの感情も変わってくるはずだ。
スターがいるから試合を見るだけではない。
試合を見続けることで、視聴者の中に新しいスターが生まれることもある。
私は、そこにライブ配信の大きな価値があると思っている。
自分ではバスを釣らなくても、好きな選手がいるから試合を見る。そんな形でバスフィッシングとつながる人が増えていくこともまた、「バスフィッシングの未来」の一つなのではないだろうか。
外の人まで楽しめるトーナメント発信
この記事ではトーナメントについて考えたことを色々と書いてきたが、ここでひとつだけ紹介したいチャンネルがある。TOP50に参戦している坂野純平さんのYouTubeチャンネル『じゅんぺいの毎日湖上生活』だ。

坂野純平さんのチャンネルは、非常に面白い試みをしている。
トーナメントに参戦している様子が動画として公開されているが、見せ方がこれまでのものとは違うのだ。
よくあるトーナメント参戦記は、プラクティスの感触や本番のハイライト、戦術解説、ルアー紹介などで終わってしまう。しかし、坂野純平さんの動画は、釣り以外にも、その背景にある「生き残りをかけた生活」という強烈なストーリーが見られる。
これは、これまで私が言ってきた世界観・ストーリーの話と重なる。
坂野純平さんのチャンネルの動画には、トーナメントの釣りに興味のない人まで楽しく見られるような工夫が随所に見られる。動画が「釣りだけ」で終わっていないのだ。「TOP50に出ている自分」を前面に押し出すだけの、一方通行な動画ではない。一人の人間が悪戦苦闘してトレイルするドラマを通して、外側からは見えない世界を見せてくれる。これを見ていると、思わず応援したくなる。
このチャンネルは、このまま続けていけばかなり伸びていくのではないかと思う。閉じた世界の内側だけを見ているのではなく、ちゃんと外側の人間のことも考えられている。動画の作り方から、外部の人間が求めているものを理解しているように感じられる。
このような試みが、今後実を結んでいくことを心から応援している。
「正解」ではなく「熱量」がほしかった

ここまで色々と考えてきたが、やはりこんな時代だからこそ「伝え方」がかなり重要なのではないかと、私は思っている。
単に何をしているのかだけでなく、なぜそれをやるのか。何を目指しているのか。その先に、どんなバス釣りを残していきたいのか。
内側では当たり前に分かっていることだとしても、そこまでしっかり形にして見せなければ、結局外側には届かないと思う。
私は『Basser』に一つの正解を期待していたわけではない。ただ、「バスフィッシングの未来」という大きなテーマを扱うからには、何が問題で、何を目指していて、なぜそう考えるのかを、もう少し整理して見せてほしかった。
私はバス釣りが好きだし、トーナメントを追うのも好きだ。たまには自分で試合に出ることだってある。そして、『Basser』という雑誌も好きで、長く読み続けてきた。
だからこそ、今回の「バスフィッシングの未来」というテーマの重さに対して、編集部自身が論点をどう整理し、何を読者に問いかけたいのかという部分が、私には物足りなく感じられて、そこが少し残念だった。
読み終えた読者が、自分なりに考えをもう一歩進めたり、何かを試してみたくなったりするような熱量があっても良かったのではないかと思った。ここまでいろいろと書いてしまった一番の理由も、結局のところそこなのだと思う。
気がつけば、今月号のレビューというより、ただの独り言みたいな記事になってしまった。
読んでくれた人に私と同じ考えになってほしいわけではないし、私自身の考えも日々の経験を通して変わっていくから、これが最終的な結論ということでもない。
ただ、誰か一人でも、何かを考えるきっかけにしてくれたのなら、この記事を書いた意味はあったと思っている。
Basser 2026年11月号 概要

| 雑誌名 | Basser 2026年11月号 |
| 出版社 | つり人社 |
| 発売日 | 2026年9月26日 |
| 定価 | 1,320円(税込) |
Basser 2026年11月号の目次
- 16 バス資源を守るということ | 前田秀樹
- 24 一生忘れない出来事 | 大場未知
- 26 温故知新の三原ワールド | 三原直之
- 34 日本のトーナメントの未来 | 小野俊郎×黒田健史×江尻悠真
- 41 バスフィッシングはどう進むか 川村光大郎 | 沢村幸弘 | 松本光弘 | 赤松健 | 杉村和哉 | 菊元俊文 | 池島竜一
- 48 釣り場を守るとは? | 吉田幸二
- 52 脳汁のために釣具屋を開く
- 56 見てきた背中と、見せたい背中 | 安江勇斗×渡邊和哉
- 62 プロップヘアーボール解説 | 青木大介
- 70 ダート系ジグヘッド釣法の最前線 | 山岡計文
- 74 バックスライド系の適期、もっと増えろ! | 坂田泰信
- 80 モノの舞台裏
- 82 私と車とバスフィッシング
- 86 米国トーナメント最前線
- 104 大森貴洋とダイワ 30年目の現在地
- 108 ファイト、ファイト、コジコジ!
- 110 房総HOTSPOT
- 114 JB/NBCが見据えるバスフィッシングの未来
- 116 MLF Japan
- 118 加木屋守の“スタメン!”
- 124 !!TOWATO!! 吉川永遠のペア釣行
- 132 トップウォーター春夏秋冬
- 136 新訳 バスフィッシング教書
- 138 NPO ミズベ新聞
- 140 The Japan Original
- 144 バサー図書室
- 144 日釣振ニュース
- 146 編集後記




